塾と大学 |
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2019年5月5日 皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。 子供の日に当たり、教育絡みの話を展開しましょう。 当塾を開講するに当たり、塾長は西武池袋線 練馬駅を中心とする学習塾について徹底的な survey を掛けました。半径 3km 圏内での市場調査 market research と言う次第です。率直な感想ですが、これは日本の他の地域でも等しいことと思われますが、中身が取り立てて特徴も無く、凡庸と思わされる補習塾の類いも見受けられました。尤も、塾側が入試結果の責任を回避し得る、いわゆる単なる補習のみを行う塾の場合、そこそこの地頭の生徒とその程度の先生とで、それはそれで良い組み合わせなのかもしれません。生徒側にしてみれば自分のレベルに合った先生という次第で、却って気持の理解も通じて学習効果が出、そして実際に授業に落ちこぼれることなく推移し得る可能性も否定できません。勿論、その様な妥協的な現状維持の為の勉学の姿勢では、世の中の一流にはとても手が届きません。切磋琢磨して少しでも上に這い上がろうとの気持が何よりも大切です。本コラムをお読み戴いている水準の高い方々には、その様な単なる補習塾の類いは、もとより縁無き対象だろうと思います。 |
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塾長はかねがね根本的な疑問がぬぐえないのですが、高みを目指す受験指導と異なり、単なる補習程度のことは、学校に通い真剣に授業を聞き、自分で予習復習を行えばそれで間に合って当然であり、わざわざ高い金額を支払ってまでして、塾に通う必要が果たしてあるのか、との思いです。 厳しい言い方をすれば、その程度の勉学も自分でこなせない様なレベルであれば、机の上の仕事に適性を欠く者ゆえ、別の方向に向けて中学入学時等の早い段階から職業訓練させる道を考えても良かろうと思います。これは欧米など殆どの国で行われていることであり、厳しい世の中に於いて、当人が社会人として道を外さず幸福に生きていく為の施策でもあります。勉学が嫌でストレスを感じるがゆえに、一部の者は、脳機能の質の低さと相俟って、授業妨害や重大な人権蹂躙であるイジメを始めたりする様になる訳ですね。モノを知りたくて気持が溢れている者は、その様な低俗なことを遣る暇もありませんし、そもそも思いつきもしない筈です。 |
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基本、大学の名に値するのは、自分で工夫して勉強をスイスイと進められる、知る事に対する本能的な欲求水準の高い「数寄者」が本来進むべき組織であり、研究者等含めた頭脳労働の為の一種の高等職能訓練校であり、いわゆる旧帝大や歴史ある私大などがそれに相当するでしょう。卒業生から研究者を輩出できる大学です。 因みに、昭和23年に各都道府県に1つずつ設置された国立大学1)は、基本は各地の師範学校(教員養成の専門学校)をコアに、その他の専門学校(農林専門学校、医学専門学校、歯学専門学校などを含む)や旧制高校を合体させて作り上げたものです。一部の大学や学部を除き、本当の意味での、学問を究める者を養成するための大学ではなく(教官側は勿論学究の徒ですが)、各分野の実学のリーダーとなる「高等職人」養成の為の専門学校の色彩を現在も色濃く遺していると思います。 まぁ、その地域の県庁に勤務したり、学校の先生になったり、技術者になったり、臨床医になったりですね。この種の学校を出て身を立て、手堅く生き、社会に貢献するのも立派な人生だと思います。 少子化が今後進みますので、新制の国立大(勿論基幹的な存在である一部有力校は除く)を解体して元の専門学校に戻し、近隣の数個の県をブロックにして、工業高等専門学校はA県、師範学校はB県、医学専門学校はC県に設置などの様に、割り振るのも現実的かと思っています。各地方国立大が似た様な学部を抱え、補助金削減のジリ貧並びに入学する学生の質の低下に喘ぐ現状を打破し、纏めることでスケールメリット並びにレベルアップも期待できるのではと考えますが如何でしょうか? 歴史の浅い、広き門の私立大学の場合、就業し得たにしても、一度リストラ等に遭うと何かの国家資格でも持たない限り、文字通りのローリングストーン2)に陥る可能性もあります。或る意味、大学に入る者も雇用者側も、日本はもの凄い、硬直化した形式主義に生きていますが、近頃では、意義の低い、無駄な大学進学はしない方向へと、若者自身も舵を切り始めているようですね。 学ぶことに本質的な興味があるならば、生活が安定してから、通信制の大学等を含め入学する手もあります。 |
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さて、練馬を含め都内全域に目を向ければ、従来に無い斬新な取り組みを行い進学(受験)実績を着実に延ばしている学習塾が散見されます。塾頭は意外や若い方が多く、感ずるところあって勤めを辞めた志のある開塾者の方々でしょうか。塾の理念を見ると、しっかりとした哲学性を持って運営に当たり、また学習者に対して科学的な配慮 (広義の教育心理学でしょうか?) を施し、柔軟な学習指導を行うなど、当塾塾長も感心せざるを得ません。その様な、<頭脳的な戦略+子供達を伸ばしたい、助けたいとの情熱>を持つ塾頭の元には優秀な教師も自ずと集まり、良循環が始まるのでしょうね。企業は人なり、は塾にも当てはまりそうです。 塾長が考えるところでは、ものを教え教わると言う事は、指導者そして生徒の間の真剣勝負、一騎打ちです。そこに迫力が感じられない様な習いの場であれば、子供達に、金銭で問題を先送りにし人生を他人任せにする悪いクセを付けてしまう虞もあるでしょう。不安に駆られながら惰性で通い、成績の伸びが悪い様であれば、その様な塾は一度見直しを図るのも一法ですね。勉強の遣り方が判らないまま上ずった気持で通っていても時間とお金の無駄になるだけです。 勉強の遣り方に迷いがある者は漫然と塾に通うのでは無く、個人的な指導をガツンと受けるのも良いと思います。もっともっと上を目指したいとの、凡庸な指導方法に飽き足らないご父兄、また向学心高き悩める若者は個人指導をご検討戴ければと思います。合う合わないもあるかと思いますが、一度短期決戦のカンフル指導を受けたら如何ですか? 1) https://toyokeizai.net/articles/-/207306没落する地方国立大の何とも悲惨な台所事情西澤 佑介 2018/02/05本来、大学の名を冠する組織は自由独立で生きていく存在ですから、金策に苦しみ教育も出来ない他人依存体質であれば、大学の名に値しないとも言えます。研究或いは職能訓練面で半端なことを続けるままであれば、この記事の様に確実に没落するでしょうね。当然ながら自分たちで対策を講じるべきです。2) rolling stonehttps://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/a-rolling-stone-gathers-no-mossa rolling stone (gathers no moss) 転石苔ヲ生(ム)サズold-fashioned saying 古風な表現・said to mean that a person who is always travelling and changing jobs has the advantage of having no responsibilities, but also has disadvantages such as having no permanent place to live*米国ではいつも新鮮で居られる、とのポジティブな解釈らしいですが、英国では定職にも就けないような者は自由は良いがロクなものではない、風来坊の根無し草だとの解釈です。転石が身を磨り減らして小さくなる、の意味は有りません。Hal was a bit of a rolling stone before he married and settled down.ハルはローリングストーンの気があったが結婚してからは落ち着いた。*日本での現況を照らすと、ごくごく一部の成功者のみが、あちこちの企業の役員や社長を渡り歩きウハウハするのみで、一般の就労者は勤務先を変える度に賃金が低下し、身をすり減らすとの流れが否定できません。詰まりは英国風の解釈より更に悪い意味になりますね。A rolling stone will get abraded in running water.転石 流レニ消耗ス、と言った方が本邦では正しいのでしょう。*本邦は、健全な生活を送ることの出来る中間層が厚みを失い、格差社会化し始めましたので、就労者側も手に職を付けるなりして若い内からその先の人生に備えるのも賢明でしょうね。*大学進学実績数を上げたいとの、生徒のその先の人生を考えない高校教員、そしてそれに安易に乗せられた生徒の組み合わせが、無駄な進学をさせて来たとの指摘があります。卒後に母校が消滅しそうな大学(その多くがいわゆるFランク大学に該当します)への進学は、一度冷静になり、見直した方が良いでしょう。・若い方に敢えて忠言しますが、他人と同じで居ようとの形式主義に安易に乗らず、現況と将来を見据えてしたたかに生き抜いて欲しいと思います。 |
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