師匠と弟子 |
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2019年5月10日 皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。 前回、「ものを教え教わると言う事は、指導者そして生徒の間の真剣勝負、一騎打ち」 と書きました。実は或る知り合いのプロのピアニストから聞いた事ですが、個人レッスン (その人の元にはいわゆる街のピアノ教室の先生やコンクール狙いの音大生、音大を目指す若者などが指導を受けに来ますし、各種コンテストの審査員でもあり、教え子には音大を出てプロとして活躍する者もいます) の場で、技量的なことは厳しく指導はするが、自分が或る曲に対して掴み得た曲想、音楽的解釈については絶体に伝授はしないとの話でした。盗めるものなら盗んでみろの気持で自分の一派、即ち弟子には対峙するそうです。それで当の弟子が自己の才能を花開けば出藍の誉れと言う次第で師匠側も評価されるに至ります。因みにそのピアニストは時々ドイツとオーストリアに出かけて演奏活動がてら、更に上の師匠筋に指導を受けています。リサイタルのチラシのプロフィール欄に**氏に師事した、と書いてありますがそれですね。まぁ、プロとして独り立ちするには、最後は当人個人の芸術的感性と技量の面で飛び抜けて優れている事が必要条件で、その究極のところは元々他人が指導して教えられるものではないと言うことです。 当塾は芸術指導の場ではなく、只の英語の指導塾ですので、盗めるものなら盗んでみろの構えはなく、塾長が持てる知識や技法は機会を通じて全て吐き出して伝授する方針です。但し、当然ながら、非言語的な「何か」を感得し、自己の内に構築し得るかは、最終的に学習者側の「学ぶ能力」であり、教える側はそこには関与し得ませんし関知もしません。勉強とは個人が行うものであるとは正にそのことです。他人に遣らされることではありません。もし指導を受ける若者が将来指導する側に回り、塾長から得たことを伝えて呉れるならそれは大きな喜びですね。 |
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学習に必要な基本的な取り組み方についてこれまで述べてきましたが、次回からは英語学習に役立つ各論に入ります。 |
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