英語に一番近い言語 フリジア語 |
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2019年11月15日 (一部 2021年4月15日追記) 皆様、KVC Tokyo 英語塾 塾長 藤野 健です。 英語がどこから発したのか、どこかに近い言語が残っていないものか、とのお話です。 本コラム作成の参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/比較言語学https://en.wikipedia.org/wiki/Comparative_linguisticshttps://ja.wikipedia.org/wiki/フリジア語https://en.wikipedia.org/wiki/Frisian_languages |
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比較言語学とは 言語同士の系統関係、即ちそれぞれの言語が共通祖先から発してどの様に分岐したのかの類縁関係を探ろうとしたり、共通祖語を再構築しようとする言語学の1分野を比較言語学(ひかくげんごがく、英語: comparative linguistics) と呼称します。「インド・ヨーロッパ語族」などの用語を耳にされた方々も多いのではと思います。これは塾長の本業である比較形態学comparative morphology とは、拠って立つ方法論 methodology の基本的考えは似ており、比較形態学とは各動物がどの様な血縁関係にあって、どの様な環境圧に適応して形態を変え、或いは遺伝的浮動(偶然で揺れ動いて生き残る)を経て現生の形になったのかを考究する学問です。以前は形態の特定部位をピックアップして比較して近縁関係を考えていましたが、この場合、系統が近い故に類似する要素もあれば、他人のそら似で系統に拠らずに類似する場合も実際あり、決定打とすることが出来ませんでした。これが近年は遺伝学的解析が精緻化され、化石等の遺伝子の採取が困難な場合を除き、系統関係がほぼ確定できるまでに至りました。これ以降、形態学は、共通祖先から如何にして当該動物の形態が生み出されたのかの本来のコアに集中する環境が整いました。これを考えると、比較言語学は、言語間の系統関係を決定づけるDNA解析に相当するものがなく、以前の形態学の様に、方法論的に曖昧性を依然として残している学問に見えます。似ているところを比べてモノをいうしか有りませんが、系統が近いから似ていると主張すると、いや、それは地理的に近いから横方向からの影響を受けて類似している可能性があるなどと反論され、塾長には論争自体が恣意的な論拠に拠って立つ学問分野であるとの念を払拭出来ません。 古典的手法として、特定分野の語彙、例えば親族の呼称、基礎的な生活に関する用語などを選定して言語間で比較を行う方法も多用されてきました。これは、その様な語彙が時間を経ても根強く残るだろうとの仮説に基づいて成立するものですが、サイドからの影響を受けて類似する(輸入言語)面も否定できず、また研究者側が語彙を恣意的にピックアップする可能性も拭えません。勿論、数多くの語彙が似ていれば系統的に近いことを濃厚に示す根拠になるのは間違いが無いでしょう。全ての学問領域に当てはまることと思いますが、事象を表面的に計測・比較するのではなく、意味のあることを見いだした上で計測・比較することが肝要です。 塾長のコラム 2019年6月20日 『主語の概念 B 膠着語と屈折語U』 https://www.kensvetblog.net/column/201906/20190620/ にて、膠着語としてのトルコ語と日本語について触れましたが、2言語間で共通する語彙は皆無ですが、文法構造が驚くほどに類似しています。そして、似た様な言語構造が、トルコ−中央アジア−モンゴル−朝鮮−日本−琉球へと一帯として繋がっていることも明らかになっています。例えば日本語と朝鮮語やモンゴル語は、言葉の順序や助詞に相当する言葉の使用などに大変近いものが見られます。しかし個々の単語や発音は共通するところはなく、意思疎通は互いに困難 (unintelligible) です。言語構造が主に類似していることを論拠に、これら言語が同じ祖先を持つとの仮説 (アルタイ諸語仮説)が唱えられていますが、最近では、昔の方が寧ろ関係が遠かった、詰まりは後世に横からの影響を受けただけであって系統関係は無いとの説も提出されています。 これに関しては、言語構造は人間がモノを考える為の根本であり、語彙などは影響を受けることはしばしばあるにしても、しぶとく維持される性質のものであり、これを言語のDNAとまず考えるべきでは無いのかと塾長は考えます。文法構造が似ている事がまず第一の血の濃さ比べの道具となるとの考え方です。 日本語と中国語は同じ漢字文化ですので、書面を見れば相当程度に言わんとしている意味が理解可能です。日本語の60%は中国から借用された漢熟語、また中国語の40%は既に和製漢熟語で占められているそうです。しかし文法構造は全く別個のシステムから成り、言語の系統としては遠い存在です。我々が漢文を見れば大方の意味は分かるものの、返り点を打ったりして読み進めばならないことがこのことを見事なまでに例示します。即ち、言語構造は極めて頑丈で維持されるものであると言えると思います。語彙に関しては、日本の様に地理的に隔離されていれば半島の朝鮮とは共通する語彙が無く会話も成立しないまでに特殊化を遂げるのだろうと考えます。しかしモノの考え方即ち文章の構造は日本語と朝鮮語とで大変類似したままである訳です。周囲と語彙の共通性が無い、だから日本語は孤立言語である、では比較言語学が意味を持たないのと同じではないでしょうか?言葉を全く話せない人類が日本にて日本語を発生させたのではなく、必ず外部から言葉のコア−モノの考え方−が伝来したはずです。そしてそれがはるばるトルコまで実際繋がっていると考えて特に不都合も無かろうと思うのですが。 言語の造りに関して更に科学的に精緻な比較法が見出され、言語間の関係性が客観的に判定できる様になることを塾長は期待しています。 (この項 2021年4月15日追記) |
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フリジア語 オランダ語 ドイツ語 さて、言語構造の解析に拠り、英語に最も近い言語は、オランダやドイツ領域内の各々小さな地域で話されているフリジア語であることが判明しました。 西ゲルマン諸語の中でも、英語、フリジア語、オランダ語、低地ドイツ語は互いに近く、その中でも更に英語とフリジア語は Anglo-Frisian 語と一括りにされます。しかしながら、フリジア語話者の言葉を聞いても、オランダ語や、ドイツ語のどこかの地方の訛りとしか聞こえません。実際のところ、英語話者との意思疎通は不可能とのことです。しかしながら、オランダ語の強い影響を受けてしまったとのことで、オランダ語話者とは意思疎通が出来るとのことです。歴史的には、フリジア語と英語の共通言語を話す者の内、ローマ帝国の撤退の後、5世紀以降にブリテン島に渡ったものが英語話者(古英語)となり、ヨーロッパ大陸に残留した一派が衰退し、フリジア語話者圏として細々と生き残っているとの図式も描けますね。オランダ語や低地ドイツ語圏に呑み込まれ同化してしまった者達も多数居るのでしょう。 |
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標準ドイツ語はNHK の語学番組で教えられるドイツ語ですが、中〜高地ドイツ語に相当します。北海に近いところのドイツ語、詰まりは低地ドイツ語とは随分と違ってますが、別の言語扱いが出来るほどの違いがある様に感じます。実際、意思疎通が困難とのことです。尤も、低地ドイツ語圏の住民は標準ドイツ語は話せます。標準ドイツ語は、発音も低地ドイツ語、オランダ語とはだいぶ違って来ていますね。塾長には発音がハフハフ聞こえ、これが母音過剰と言われる事かと思い出しました。 |
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それでも、オランダ語とドイツ語は文の構造は一部語順が入れ替わる所はありますが、非常によく似ています。英語−オランダ語の関係よりは、オランダ語−ドイツ語の方が明らかに近いと感じます。言語としては オランダ語とドイツ語は84%の語彙が共通ですが、しかしながら互いの意思疎通性 intelligible は低いとのことです。 ご存じのように、鎖国中の日本(徳川幕府)は長崎の出島を通してのみ欧州とは唯一オランダとの遣り取りがあり、学問としての医学もオランダ語の書物を通して持ち込まれました。幕末にオランダ以外の西洋からの知識吸収も必要と考えた幕府は洋学の研究機関として蕃書調所 ばんしょしらべしょ、を設けましたが、これが後の開成学校、そして帝国大学へと繋がります。蘭学を継続していたからこそ、素早い対応が出来たのだろうと推測します。イギリスはオランダの後塵を拝し、アジアへの進出が遅れ、徳川時代には日本に直接的な学問的利益を与える関係が構築出来ませんでした。しかし、その英国の嘗ての植民地だった米国の黒船来航が刺激となり蕃書調所が開かれたことになります。 英語が、オランダ語、フリジア語、そして低地ドイツ語から離れてしまった歴史的経緯については、近代英語成立の観点から後に触れたいと思います。 |
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